これは訓練ではない、実戦である。パート2
今日は旦那様が会社の忘年会で帰ってこない。
旧正月は1月25日なので、それまでの期間、こちらは「忘年会」の時期である。
昨日ソンホに誘われたので、今日はベトナム人のお誕生日パーティーに参加してきた。
前述の通りソンホの彼女はベトナム人なので、彼女のベトナム人の友達4人と、こちらの多国籍クラスメンバーで計11人のBBQをした。
先月からの経験上、言葉が通じるかどうかはさして問題ではなく、人懐こさや明るさが重要だとわかっていたので、
「せっかくだから」という気軽な気持ちで参加してみることにした。
お察しの通り、その考えは大正解であった。
グーリッ君という男性の28歳の誕生日であったわけだが、彼は感動的な人柄だった。
臆せず私に話しかけてくれ、一問一答も全然ままならない私にも、恐ろしいほどゆっくりと、単語に分けて話してくれた。
それでもわからない私が100%勉強不足なのだが、ずっと笑顔で説明してくれる。
首にある大きめのホクロから10センチくらいの毛が生えていることがチラチラと目に止まってしまう私とは、対照的な人格者だった。
(バイクの運転手さんたちと少し会話して、出来る気になっていたのが恥ずかしいな。)
そんな思いにかられている私を横目に、韓国の東大生スー君はめちゃくちゃ会話できている。
流暢であるし、ボキャブラリーも半端じゃない。
これがベトナム語での会話というものだ。
私のそれは、老人ホームにおいて97歳のおばあちゃんに話しかけている介護スタッフのそれだ。
不要な説明かとは思うが念のため、もちろん私が97歳の老婆である。
スー君はホーチミンに来る直前まで兵役していた。
除隊前に、寮の中でYouTubeを見てベトナム語を1ヶ月勉強し、
この学校に入って1ヶ月ちょっとである。
つまり2ヶ月少々でこのレベルである。
私の倍以上、その場を楽しんでいた。
私は帰りのバイクにまたがり、涼しい夜風を受けながら真剣に考える。
彼と私の差分はなにか。
もちろん、彼はこの学校で8時間×週5日ベトナム語を勉強しているわけなので、その差はあるのは致し方ない。
おまけに日本の東大にも行けていない私とは頭脳のキャパシティーも違うかも知れない。
ただ、絶対にそれ以外の要素があるし、真似できるものがあるはずだ。
結果、要素は2つだと考える。
1つは、ボキャブラリーだ。
しかも、文字ではなく音で覚えたボキャブラリーの多さだ。
実際今日も、知っている単語だったのに、ちょっとした個々人の発音の癖によって聞き取れなかったものも多かった。
音として熟知できている状態のボキャブラリーが多ければ多いほど、あとは何とかなる。
これはきっと英語も同じだろう。
2つ目は瞬発力だ。
97歳の老婆は、授業で習った文章さえ、恐ろしいほどゆっくりと話していた。
脳ミソの引き出しをすぐに開けられないのだ。
これは英語でも同様に感じるのだが、この「ゆっくり」というテンポは非常にシラける。
グーリッ君は敏腕介護スタッフな訳なのでずっと笑顔で待ってくれているが、まぁ、このままでは友達として認めてもらえるには相当な時間を要するだろう。
このテンポを上げるには口を慣らす以外に手段はない。
そこで私は考えた。
ボキャブラリーは、単語帳のCDとインスタグラムで。
瞬発力は、ベトナムの映画や歌のシャドーイングで鍛えよう。
「インプットしたらアウトプットしないと覚えない」
と言うのは至極一般的な理論であるが、今までノートに書き出すことをアウトプットと呼んでいた私は間違っていた。
最終目的は何か?
会話である。
とにかく口から吐き出す。(なんか言葉が汚い)
そして早めにボキャブラリーを増やし、口から吐き出した言葉たちが正しく理解できるレベルのものかどうかを確かめてくれるベトナム人の友達を作ろうと思う。
「たったの半年勉強しただけで、もうそんなに喋れるの?!」
いつか言われてみたいもんだ。